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いよいよ、中学を卒業、高校に向けて、受験勉強です、正直勉強嫌いでしたから、成績は、中の上ってとこですかね、志望高校を先生に言ったら、お前の成績じゃ無理とあっさり言われました、確かやに、県立のトップクラスでしたから、ま、しょうがない、少しランクを下げて、市立にしましたが、そこも難しいと言われショックでした、何とか野球するためには高校に行って甲子園に行かないとプロになれない、かといって私立には行けないし、それから必死に勉強しました、努力のかいあって、合格しました、ところが、入学式に野球のユニフォームを持ってこいと言われ、不思議に思いました、まだ野球部に入るとはいってないのに、今思えば、何かあったんでしょうね、ともかく、入学式が終わって高校野球部初めての練習です、ついこの前まで三年で野球部では、最上級生だったので、そのままの態度が抜けなくて、練習後、待っていたものはー続く。



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フカフレプリッツは、まさにフカフレの味、さて、中学校の修学旅行で豪華とはいきませんが、船に乗っています、確か一泊しました、この時期、やはり、異性同士の告白が定番ですね、男子生徒の内?君が根?さんが好きで告白したいんだけど、ちょっと呼び出せない、困っていたので、僕が一肌脱ぎました、根?いる、ちよっといいかな、そう言うと女子生徒全員が振り向きました、僕も、ヒトゴとだから言えたんだけど、あの皆の視線に固まってしまいました、その後、根?さんが寄って来ました、『何?』『ちょっと話しがあるんだけどデッキにきてくれる』そう言いました、彼女はにこにこしながら出てきました、告白には、最高のシチュゥエイションです、『実は、内?が、話しがあるらしいんだけど 』そう言うと、彼女は『野村君じゃないの?』って、その瞬間ピンときました、ヤバイ、そうだったんだ、どうしょう、とにかくその場を去って内?君を呼びに行きました、それから、彼女と口を聞いていません、卒業式までー続く。



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ベッキーが北京に行ったお土産と言って、フカヒレのプリッツくれました(^-^)さて、中学校のこの頃からは、問題はおこしていません、やっと、落ち着いて、物事を考える事ができたみたいです、野球に集中していました、でもあまり強くなかったので、目立った活躍はしていません、ただ、野球部は人気があったので、他のクラブの女子がランニングをしているときバックネット裏あたりで必ずみんなスピードを落としていました、結構楽しい青春時代でした、その頃からガールフレンドができましたね、たんなる色気なんかない本当の友達です、だからハッキリ言ってブスでした、でも、俺にとっては、心を許せる友でしたー続く。



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今日は天気が最高です(^ー^)のちほど。



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さて、いよいよ中学校に入学しました、勿論、野球部です、夢はプロ野球選手、頭は丸刈り、青かったのが、恥ずかしかったです、今は分かりませんが、その頃はいわゆる、シゴキがあたりまえでした、特に、二年生は自分達が散々シゴかれたぶん、待ってましたとばかりに一年生にぶつけました、まあ、その分、いろんな意味で強くなるんですが、一年生のクラスで、委員決めがあって、みんなが、いくつかの委員に、誰かを投票するといった形式です、その結果、給食、図書、体育委員に僕が選ばれてしまいました、先生から、どの委員をやりたいか聞かれ、体育委員をやらせてもらいました、ところがところが、またまた調子に乗ってしまい、体育の時間に、好き勝手やっていたら、ある日のホームルームで問題になり、委員を下ろされてしまいました、またまた試練がやってきました、遊んでいた仲間が悪かったのか?ちょっとグレちゃいました、野球の練習も、休みがち、喧嘩もしたり、カツアゲ『脅して何かを貰う』もやったりしました、何も考えてなかったんですね、ところが運命の
日がやってきました、学年主任に母が呼び出されて、学校に行き、話し合いになり、改めないと退学にもなりかねないと言われました、家に帰り、母が泣き出したのです、その時、俺は何て事をしたんだろう、体が震えたのを覚えています、おふくろの涙も、やきついています目にー続く。



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生徒会会長って、こんなに大変なものだと思いませんでした、毎月生徒会を開き、僕の両サイドには、副会長、書記、周りは各クラスの学級委員長、副委員長、エリートばかりの中で、議事進行をしていかなければいけません、人生で初めてプレッシャーといものを感じましたね、先生も、見ていてハラハラしていたと思います、もっと凄かったのは、地区児童会、いろんな小学校の代表が集まって会議するんです、この時、議長に指名された時、固まっちゃいまして、別にありません、としか答えられませんでした、情けなかった、今この場にいる連中はみんな、学力、学年トップクラスばかり、俺は何て場違いなところにいるんだろう、シャレのつもりで会長なんてやるもんじないな、後悔しました、だからその時の内容は、ほとんど覚えていません、自分でも早く忘れたかったんでしょう、あっ!会長選挙の時のライバル、森?は後に、デビュー後のあるパーティで偶然再会し、結構売れっ子のフアッションカメラマンになっていました、驚きました、お互い、でも、当時の選挙の話しはなか
ったです、結構プライド高いヤツですからね、そういやアイツ、ポニーテールにして前髪垂らしたら飛猿みたいだったなー続く。



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この頃から、野球を始めました、この時代は、巨人、大鵬、卵焼きという流行語がありました、勿論野球の巨人と、大横綱、大鵬、その当時高級な卵焼き、この三つが人気ベストスリーでした、僕は長嶋さんに憧れて野球を始めました、地区少年野球、今のリトルリーグです、キャッチャーで四番を打っていました、たいして強いチームではなかったのですが、初めて、チームワークというものを覚えました、その野球がまた僕を変えました、この時期から、なんだかいい子になっちゃって、最上級生になった時、生徒会の会長に推薦され、また調子に乗って立候補しちゃいました、ちなみに、勉強はたいした事なかったんですよ、ライバル、森?と一騎打ちになり、僅差で僕が勝ちました、その時の先生の表情が印象的でした、何てこった!って感じですかねえ、ライバルの彼の方がいろんな意味で優れてるからです、ただ、人気?『シヤレ』で当選したようなもんですから、しかし、それから大変でした、生徒会を運営していかなければいけないのですから、副会長や、他の委員をひきつれてー
続く。



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京都撮影所内のトレーニングジムにて、【小学校4】堪忍袋の尾が切れて、ヤツの手が触れた瞬間に、右ストレートが右顔面を捉えていました、周りは一瞬サイレント情報になり、皆の視線が俺に集中しました、俺はしまったと思い、その後どうしたか覚えていません、後に周りの複数の生徒が、俺に、こび売るようになってきました、たぶん、新しい番町の誕生だと思ったんでしょう、俺も調子に乗りやすい人間なんでつい、その気になっちゃったんですね、前番町はしばらく存在感なく、おとなしくしていました、人間、特に子供は舞い上がると、善悪の判断がつかなくなるんですね、知らず知らずのうちに、クラスで好き方だいやっていました、しかし、そんな日は、長く続きません、ある、ホームルームの日に、俺の事がとりあげられました、先生も交えて話し合った結果、俺はしばらくの間、皆と一緒に遊んじゃいけない事になっちゃいました、皆がグランドで、ボール遊びをしていても、ただ見ているだけ、本当にあの時は寂しい思いをしました、やはり皆と遊ぶ方が楽しい、そう
思い、後のホームルームの日に皆に謝り、仲間にいれてもらいました、仲良くすることに一番幸せを感じましたね、子供心にー続く。



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嬉しくて、銭湯に履いていったのはよかったのですが、帰りに下駄箱を見たら、俺の新しい靴がない!盗まれた、顔面蒼白になりました、くやしいやら、親に怒られるのはまちがいないし、せっかく無理してかってくれたのに、いろんな事が頭の中を回っていました、どうしょう、しばらく家にかえる事ができませんでした、確か、姉が一緒だったので、なんとか言ってあげるから、家に帰ろうと言ってなぐさめてもらい、帰りました、あまり記憶にないのですが、たぶんかなり怒れたと思います、明日、遠足なのに、靴がない、泣きながら寝たのを覚えています、そして、朝をむかえ、出かける時に玄関で、新品ではないけど、アニメの絵もないけど、黒い靴が置いてありました、その時の気持ちは、説明出来ないくらいの感動でした、自分が親になって、初めて今、感じる事ができます、今でこそ、大した物ではないですが、その頃のバナナは高級品でした、それがリュックに入っていました、遠足にバナナを持ってこれる子は、金持ちだと!その時の味は最高でしたー続く。



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怖い先生ほど印象に残るもんです、ただこの先生は、給食の時間に必ずパンを半分残して、僕にくれました、体が大きかったから、足らないと思ったんでしょうね(^-^)実は優しいところもあったんです、三年の時、父は屋台のラーメン屋を自ら屋台を引っ張ってやっていました、自分で丼に竜の絵を描いていました、それを覚えていたので僕は今でも、何も見ないて゛竜の絵が描けます、遺伝ですかね、ある日父が、ボロボロに壊れた屋台を引っ張って帰って来ました、親父はだまってひたすら屋台を直していました、どうやら、酔っ払ったチンピラに壊されたらしい、その時の光景は、目に焼き付いています、金持ちになりたいとおもったのは、その時が最初でした、その後、遠足の日が近づいてきました、でも、普通ならまちどおしいはずなのに、自分にとっては、不安でした、なぜならば、子供心に、また余分なお金がかかるし、リュックもお下がりだし、靴もきたないし、とても、不安でした、ところが、僕の気持が分かったかのように、遠足の前日学校から帰ったら、新しい靴が玄
関に置いてありました、水色の防水加工がしてあり、足のこうの部分には、その頃流行りのアニメの絵がついていました、あんまり嬉しかったもんで、その夜、みせびらかしたい気分で銭湯に履いていきました、ところが帰る時ー続く。



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