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この頃から、野球を始めました、この時代は、巨人、大鵬、卵焼きという流行語がありました、勿論野球の巨人と、大横綱、大鵬、その当時高級な卵焼き、この三つが人気ベストスリーでした、僕は長嶋さんに憧れて野球を始めました、地区少年野球、今のリトルリーグです、キャッチャーで四番を打っていました、たいして強いチームではなかったのですが、初めて、チームワークというものを覚えました、その野球がまた僕を変えました、この時期から、なんだかいい子になっちゃって、最上級生になった時、生徒会の会長に推薦され、また調子に乗って立候補しちゃいました、ちなみに、勉強はたいした事なかったんですよ、ライバル、森?と一騎打ちになり、僅差で僕が勝ちました、その時の先生の表情が印象的でした、何てこった!って感じですかねえ、ライバルの彼の方がいろんな意味で優れてるからです、ただ、人気?『シヤレ』で当選したようなもんですから、しかし、それから大変でした、生徒会を運営していかなければいけないのですから、副会長や、他の委員をひきつれてー
続く。
続く。
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京都撮影所内のトレーニングジムにて、【小学校4】堪忍袋の尾が切れて、ヤツの手が触れた瞬間に、右ストレートが右顔面を捉えていました、周りは一瞬サイレント情報になり、皆の視線が俺に集中しました、俺はしまったと思い、その後どうしたか覚えていません、後に周りの複数の生徒が、俺に、こび売るようになってきました、たぶん、新しい番町の誕生だと思ったんでしょう、俺も調子に乗りやすい人間なんでつい、その気になっちゃったんですね、前番町はしばらく存在感なく、おとなしくしていました、人間、特に子供は舞い上がると、善悪の判断がつかなくなるんですね、知らず知らずのうちに、クラスで好き方だいやっていました、しかし、そんな日は、長く続きません、ある、ホームルームの日に、俺の事がとりあげられました、先生も交えて話し合った結果、俺はしばらくの間、皆と一緒に遊んじゃいけない事になっちゃいました、皆がグランドで、ボール遊びをしていても、ただ見ているだけ、本当にあの時は寂しい思いをしました、やはり皆と遊ぶ方が楽しい、そう
思い、後のホームルームの日に皆に謝り、仲間にいれてもらいました、仲良くすることに一番幸せを感じましたね、子供心にー続く。
思い、後のホームルームの日に皆に謝り、仲間にいれてもらいました、仲良くすることに一番幸せを感じましたね、子供心にー続く。
三年が終了すると、父の仕事の関係で大阪へ引っ越しする事になりました、たしか、養鶏場関係の仕事のようでした、転校はきらいでした、結構人見知りをするので、登校初日の事を考えると、ゆうつでした、当日、教室で先生に、転校生として紹介され、席につきました、周りを見る余裕もなく、ただ黒板だけを見ていました、休憩時間に、フレンドリーな女子生徒が三人位で話しかけてきて、いろいろ質問しました、恥ずかしかったけど、少し気が楽になったのを覚えています、どこのクラスにも、こういった、面倒みのいい生徒はいますね、1週間たってやっと成れた頃、どこにでもいるチョッカイだすやつがあらわれました、ちょうれいの時でした、そいつは学年の番町で松?ってやつで女の子の前で、わざと俺を「こいつは転校生なんだよ」って言って、俺に足をかけて倒したりして、いじめていました、自分の力を誇示するように、まだ友達のいない俺は、だまって我慢するしかなかった、毎日学校に行くのがいやになった、これがいわゆる今でいう、イジメだったり登校拒否って
やつだったんだね、 そして、四、五回目位の朝礼の時またチョッカイをだしてきた時さすがに堪忍袋の尾が切れましたー続く
やつだったんだね、 そして、四、五回目位の朝礼の時またチョッカイをだしてきた時さすがに堪忍袋の尾が切れましたー続く
嬉しくて、銭湯に履いていったのはよかったのですが、帰りに下駄箱を見たら、俺の新しい靴がない!盗まれた、顔面蒼白になりました、くやしいやら、親に怒られるのはまちがいないし、せっかく無理してかってくれたのに、いろんな事が頭の中を回っていました、どうしょう、しばらく家にかえる事ができませんでした、確か、姉が一緒だったので、なんとか言ってあげるから、家に帰ろうと言ってなぐさめてもらい、帰りました、あまり記憶にないのですが、たぶんかなり怒れたと思います、明日、遠足なのに、靴がない、泣きながら寝たのを覚えています、そして、朝をむかえ、出かける時に玄関で、新品ではないけど、アニメの絵もないけど、黒い靴が置いてありました、その時の気持ちは、説明出来ないくらいの感動でした、自分が親になって、初めて今、感じる事ができます、今でこそ、大した物ではないですが、その頃のバナナは高級品でした、それがリュックに入っていました、遠足にバナナを持ってこれる子は、金持ちだと!その時の味は最高でしたー続く。
怖い先生ほど印象に残るもんです、ただこの先生は、給食の時間に必ずパンを半分残して、僕にくれました、体が大きかったから、足らないと思ったんでしょうね(^-^)実は優しいところもあったんです、三年の時、父は屋台のラーメン屋を自ら屋台を引っ張ってやっていました、自分で丼に竜の絵を描いていました、それを覚えていたので僕は今でも、何も見ないて゛竜の絵が描けます、遺伝ですかね、ある日父が、ボロボロに壊れた屋台を引っ張って帰って来ました、親父はだまってひたすら屋台を直していました、どうやら、酔っ払ったチンピラに壊されたらしい、その時の光景は、目に焼き付いています、金持ちになりたいとおもったのは、その時が最初でした、その後、遠足の日が近づいてきました、でも、普通ならまちどおしいはずなのに、自分にとっては、不安でした、なぜならば、子供心に、また余分なお金がかかるし、リュックもお下がりだし、靴もきたないし、とても、不安でした、ところが、僕の気持が分かったかのように、遠足の前日学校から帰ったら、新しい靴が玄
関に置いてありました、水色の防水加工がしてあり、足のこうの部分には、その頃流行りのアニメの絵がついていました、あんまり嬉しかったもんで、その夜、みせびらかしたい気分で銭湯に履いていきました、ところが帰る時ー続く。
関に置いてありました、水色の防水加工がしてあり、足のこうの部分には、その頃流行りのアニメの絵がついていました、あんまり嬉しかったもんで、その夜、みせびらかしたい気分で銭湯に履いていきました、ところが帰る時ー続く。
僕の、今は亡き父母と兄弟の一部です、もちろん赤ちゃんが俺です(^-^)この頃自分は、五人の姉に着せかえ人形のように可愛いがられていたらしいです、いつ頃からか、保育園でガキ大将になり、供をひきつれたり、女の子をひきつれたりして遊んでいました、ある日、女の子の一人が、肥え溜め「田舎によくある」の向こうに咲いている真っ赤なケイトウの花がほしいといったので、皆に、「誰か取りに行く勇気のあるやつ」って言ったら誰もいなかったので、引っ込みつかなくなり、自ら花めがけてジャンプしました、ところがみごとに肥え溜めにはまり、母に怒られ、川で洗ってもらい、友達には臭いと逃げられ、大変なめにあいました、それから暫く、あんなにへこへこしていたやつらが、俺を村八分にし、寂しい思いをした事を覚えています、やっぱり日頃から、皆、平等に遊ばないとね(^-^)続くー。